福岡市西区の臨済宗大徳寺派寺院


旧糸島郡、福岡市西区元岡にある臨済宗 大徳寺派(京都紫野大徳寺を本山とする一派)の寺院。一休さんや沢庵和尚の宗派と言えば分かりやすいでしょうか。

山号は光福山。元は本嶽禅寺と表記されていました。本尊は盧舎那仏で、奈良時代の法相宗の高僧、行基(668〜749年)の作と伝わります。

永禄元年(1558年)、勧請開山に大応国師、南浦紹明(1235〜1309年)を奉って臨済宗大徳寺派として再興されますが、間もなく地元の“池田河原の合戦“の戦火に巻き込まれて本尊を遺して全て灰となったと伝えられています。本尊は猛火の中で背中に僅かに痕を残すだけだったそうです。

享保21年(1736年)京都の仏師の手で本尊は阿弥陀如来として修復。頭部のみが元々の御姿ではないかと言われます。平成28年に本堂を改築。令和2年に三界萬霊塔(供養墓)建立。戦時中の供出を免れた殿鐘は福岡市の平成20年指定文化財。境内の石仏は土佐国 五台山 竹林寺から勧請した文殊菩薩で糸島石仏八十八箇所の一つです。

 

今では観音堂として元禄元年(1688年)開創の末寺、福聚山 清楽寺があり、此方は清賀上人由来の聖観音菩薩が本尊です。水吹観音とも呼ばれ雨乞いに霊験あらたかと言われます。
平成8年九州大学の元岡(伊都)移転に伴い観音山より本岳寺境内の裏山に移転となり現在に至ります。九州大学伊都キャンパスの敷地に隣接しています。
年3回お籠りが催され、7月は町の八坂神社の祇園祭に際して送り火を担当、子供達がローソク立てをしています。


仏教とは本来、この世を明らかにして、人の生きる道を説いたものです。仏事や法事はそのわずかな一面に過ぎません。

 

自分の心は自分の味方であり、自分の1番の理解者であると考えている人はひょっとすると多いかも知れません。でもその自分の心がどうかすると敵になってしまう事もよくある事です。一瞬の気の迷い、自分であって自分じゃなかったという話はよく聞きます。またこの国の殺人事件の認知件数は年間1000件程ですが、自殺者の認知件数は年間で軽く2万人を超え3万人に届く時もあります。それも未遂で終わったり頭をよぎった人だったりまで含めればどの位の規模になるのか想像も出来ません。

 

自分の心が自分自身に敵対した時に何を支えにするかは人それぞれ自由なのですが、仏教にはその1つの答えがあります。誰かを亡くせば心に穴が空いた様に感じられる事もあるかも知れません。法事や仏事というのはその心の穴を埋める、仏教の一面だと考えて頂いたら良いでしょう。


「自分は無宗教だ」と仰る方もいらっしゃいますが、“日本人は無宗教ではなく宗教に無自覚なのだ“と言われます。自覚はないけど、意識無意識に関わらず折に触れて利用して宗教の恩恵には与っている。それが現代日本人です。
それが悪いという話ではなく、それでは勿体無いかも知れないという話です。仮に大切さは理解していてもなぜかは言い表せなかったり、大切さが分からなければ宝の価値が知らずに捨てている様なものでしょうか。自分の事も、人間の事も、世界の事も、知らなくても生きていく事は出来ますが、全体像を見ようともせずに自分中心の視野に収まっていては目的や優先順位を見誤る事は起こるものです。仏教は荒唐無稽な話ばかりではありません。背景にはとても現実的な効能があるものです。

本岳寺は、歴史の中で埋もれて来た小さなお寺ですが、
元岡という地にあって本岳(モトオカとも読める)を名乗る土地のお寺です。埋もれていたからこそ伝わっているものもあるし、また九州大学がこの地に移転して来た事で掘り返されつつある歴史もあります。不必要なものならば消えても構いませんしそれもまた淘汰とも役目を終えたとも言えますが、現代社会は技術や便利さが発達した一方で、今後益々それを扱う人の心こそが問われる時代になるのかも知れません。人の生きるべき大きな道というものが、時代に左右されない普遍的なものであるならば仏教にもその答えがあって不思議はありません。今こそ伝えなければならない事がある様に感じています。